2017年2月24日金曜日

メインストリーム協会訪問


先週2月15日から20日までメインストリーム協会の廉田、沖田、柳瀬、それに東大阪の『ぱあとなぁ』の介助者澤田くんがコスタリカを訪問し、おもに第2フェーズのことについて話し合いました。

本来なら、ペレスセレドンに行ってルイスの御墓参りにも行ってということだったのですが、廉田、沖田はこの後パキスタンでの志会議があり、その合間を縫っての訪問だったので、今回はサンホセの常宿であるバルモラルホテルにモルフォのメンバーに来てもらって、さらにコロンビアでのピアカウンセリング講座の講師で行っているウェンディとエリエセルが合流する日程で話し合いをしました。

この訪問は、もともと予定していなかったのですが、ルイスが亡くなった後新しい体制になって出発することになったので、けじめの意味もあって急遽来てもらうことにしました。いつものメインストリーム協会のメンバーだけでなくぱあとなぁの澤田くんが加わっていつもより新鮮な感じの訪問でした。澤田くんがぱあとなぁのフェイスブックに詳しい記録と写真を残してくれているのでそちらの方も合わせてみてください。   


さて、今回の訪問では大体次のような目的で話し合いをしました。
1)プロジェクト当初からのメンバーだったスサーナが2年前に辞めて、ルイスの抜けた穴を埋める意味でまた今年から復帰してるのですが、メインストリーム協会のメンバーは直接この経緯を聞かないまま今まで来ているので、それを確認すること。

2)新しくダニエルという脳性麻痺の男性がメンバーに加わるのでゆっくり話を聞いて人となりを知ること。

3)新しく代表になったカルロスに廉田さんから自分の代表としての経験を話してもらうこと。

4)第2フェーズに加わる障害者・健常者すべてのスタッフで第2フェーズ1年目の活動の詳細を決め確認すること。



話し合いはとくに問題なくすべて順調に終わりました。上の写真はメインストリーム協会との話し合いの前に新メンバーとしてダニエルを迎えるかどうかを話し合っているところです。とくに異論はなく全員一致で合格しました。

先日もちらっと書きましたが、4月から始まるモルフォプロジェクトの第2フェーズは、以下のようなメンバーで始まります。

代表カルロス
事務局長ウェンディ
エリエセル
スサーナ
ダニエル

コーディネーターの
カテリン
リオス
マタ
デレ

すでにモルフォは第2フェーズを視野に入れた活動がすでに始まっており、運動のスピードをまったく落とさずに活動しています。思い返せばこのプロジェクトは2012年5月にこの佐藤さんのブログから始まっているんですね。事務所も違うしメンバーも違うし、そもそもこの頃はまだモルフォという名前さえついていなかった。それが今はウェンディ、カテリンなんかは確実に研修を受けるんではなくて研修する側になっている。なんだかすごいなーってしみじみ感慨にふけっているところです。

2017年2月13日月曜日

グルーポグランデ会議


こんにちは。
今日は朝からモルフォを応援してくれている地元の障害者グループの集まりがありました。参加者は車椅子工房グループで活動している、ジョナタン、いつも事務所を手伝ってくれているブライアン、視覚障害のジョナタンとホルヘ、毎日事務所に来るホセ・アルベルト、フランシスコ、初めて見る顔もいました。モルフォのメンバーがこれに加わります。理事会のメンバーとも少し被っていますね。

もともと、ペレスセレドンの障害者グループは大きく、モルフォのそれを束ねていたときにも会議に50人くらいの人が集まっていました。それが障害者の就労のグループを作って独立していった残りが今日のグループのメンバーになります。よく見るとみんなぼくらが初めてコスタリカに来た2008年からグループにいる古くからの知り合いですね。



今日は車椅子工房グループのジョナタンが自分史を話していました。のぞいたらたまたまやっていたのでそのまま参加して聞いていたのですが、なかなかいいことやってますね。視覚障害のホルヘがそれに答えて自分の幼少期の苦労したことなど思い出して話し始めたので、次回はホルヘが自分史を話してくれることになりました。




第2フェーズからは地元のジゼルとマイノルが引退して関わらないのと、丁寧にモルフォを訪れてくれる障害者に対応していたルイスがいなくなってしまったので、このペレスセレドンの障害者との関係をどう保っていくかが、これらかのモルフォの課題の一つなのですが、今日集まってくれている人たちはとても大切だし、変わらず足を運んでくれるのがとてもありがたいと思います。今日はそういう意味でも関係を保つためのいい企画だったと思いました。

モルフォを去っていった就労のグループは立ち上げて法人格を取るときにはモルフォがずいぶんと手助けをしたのですが、一度立ち上がってしまうと寄り付きもしなくなってしまったので、このグループとは確執があるのですが、第2フェーズではこの就労グループとも連携をする計画になっているので、関係を改善していかないといけません。

2017年2月9日木曜日

新しい仲間


さて、ルイスが亡くなってこれから第2フェーズに向けての新しい体制についてお知らせしておきたいと思います。

もともとルイスが亡くなる以前からモルフォでは人手不足が問題になっていました。11月に廉田さんが来たときにこのことも話し合い、第2フェーズで人を増やすのは必ずしも障害者にこだわる必要はないということを話しました。障害者主体であるというのは、もちろんでそれは変わらないのですが、自立生活センターには様々な仕事があり、すべてを障害者で行うことはできないので、時には健常者を使って仕事をするのはありだということでした。その結果、来年度は4人のコーディネーターを雇うということになりました。

ルイスが亡くなる前に障害者だけで会議を持ったらしく、ジゼルとマイノルは引退して第2フェーズには基本的には関わらない、マラソン大会とか一時的なイベントなどの時には手伝ってもらうようか形にしたそうです。

したがって、障害者スタッフはウェンディ、カルロス、エリエセル、もちろんこのときにはルイスが亡くなるなんてことは考えもしなかったことなので、ルイスを入れれば4人。後2名プロジェクトの予算を使って誰を雇うかということが次のテーマになっていました。


このテーマはそれまでは今年度中に決めればよく、いい人がいなければもっとゆっくり決めてもいいくらいに考えていたのですが、ルイスの急死でそんな余裕もなくなり緊急に誰か人を補充しなければモルフォの事務所自体が回らないという状況になってしまいました。



ルイスが亡くなった直後に行った会議はこのことが大きな議題だったのですが、ちゃんとした結論には至らず年が明けたら何人か候補に上がった人たちを一定期間モルフォに来てもらって様子を見ながら決めましょうということで終わりました。

結論から言うと3年前に問題を抱えたまま辞めたスサーナを呼び戻して今はもうスタッフとして復帰、毎日生き生きと働いてくれているのですが、彼女は他のスタッフや介助者とも色々揉め事があって辞めたので会議では反対する人もいてその時点ではすんなり戻ってもらおうということにはなりませんでした。

しかしながら、落ち着いてよくモルフォの状況を見てみれば、ルイスが抜けて人を前にしての研修ができて、交渉の場に立ち会ったり、書類も作れる人材など他にすぐに見つかるわけもなく、ぼくとウェンディと話し合って戻って来てもらうことにしました。

反対があったこともあって、まずは3月いっぱいまで様子を見て問題がなければ第2フェーズから雇いましょうということだったのですが、上のような状況や介助者にまったく仕事がないということもあり急遽スタッフとして戻ることになりました。今は事務所近くに家も借り再び自立生活をしています。

ぼくは月曜に来たばかりですが、仕事をしているのを見ていても安定感が違うし何より楽しそうに仕事をしているのがわかるのがいいです。



もう一人現在スタッフ候補としてモルフォの体験ルームに滞在しているのがダニエルです。ダニエルはもともとサンホセのディツーという団体にいて、会報作りを手伝ったりしていたのですが、ディツーのメンバーでもあるダマリスさんが「ディツーではそれほど能力を発揮できずにいるのでモルフォに行った方がいい」と言ってくれていたこともあって候補に上がっていました。

ダニエルは今回の滞在で今年になって2度目で、このまま3月までいるそうです。
脳性麻痺でめちゃくちゃ言語障害がきついのでぼくは言ってることがほぼ理解できません笑。なので、どんな人なのかはちょっとぼく自身はまだよくわからないのですが、モルフォの人に受け入れられて仲良くやっているのはよくわかります。今回の滞在中にぼくも頑張ってもう少し聞き取れるようになろうと思います。

最後に第2フェーズ開始のモルフォの体制を整理しておきますね。
代表 カルロス
事務局長 ウェンディ
エリエセル
スサーナ
ダニエル(未定だけどたぶん)

健常者スタッフ
カテリン
リオス
マタ
デレ

(理事会には副代表として視覚障害のジョナタンが入っていますがプロジェクトには関わっていません)

新しい事務所


こんにちは。

昨日サンホセの日本大使館より小林玲子職員が来所されました。
これは現在モルフォでは、大使館を通じて外務省に草の根無償資金協力を申請して新しいセンターを建設する計画を立てていてまずその第一歩として、こちらの案を聞いてもらうために来ていただきました。

まずぼくらは、この制度を使って新しい事務所を建てると言っちゃっているんですが、この制度では、非営利団体であっても事務所そのものは建てることだできないそうなんですね。

もちろん、この業界の人なら事務所と言っても、自立生活センターは、一般にイメージされるような「オフィス」とは違ってつねに外部の誰かが出入りしていて、地域における交流センターの役割を果たしていたり、もっと深刻な相談にあたる相談センターであったり、そこのスタッフも使うが公共的な要素が強いこともよくわかると思いますが、やはり自立生活センターのことを一から説明しないとだめなんですね。

ちなみに小林さんは、お父さんが元JICAの協力隊員、お母さんがコスタリカ人、高校生くらいまでアルゼンチンなど南米の国で過ごしたそうです。去年大使館で見かけたときは大人しいそうな日本人に見えたのですが、モルフォに来て喋ってたら思いっきりコスタリカ人でした笑。








昨日は、だいたいこちらの予算がどれくらいで、足りない分はどうするか、こちらの情報を伝え、申請に当たっての今後のスケジュールを確認しました。今年8月までに申請ができれば、来年の早い時期には建設に取りかかることができるという話でしたが、果たしてそんなにうまく行くかどうか。

設計は、昔介助者で一時コーディネーターもやっていたカファレルがやってくれました。
その時から建築学科の学生だったのですが、無事に卒業して今は設計事務所で働いています。モルフォをやめてからもずっと繋がりを持っている人の一人ですね。昨日はこの会議の合わせて来てくれていました。





ただいま〜コロンビアピアカウンセリング



こんにちは。なんと見直してみると去年の11月から放ってありましたね。このブログ。ちょうど、11月に初めにペレスに到着してモルフォに着いた時にConapdisのイサベル代表が来所していて、自立法の実施に向けての話し合いをしていたのでした。

その後、11月18日からの国際自立生活セミナーの準備で目の回るような日々が始まり、日本からのメンバーの到着、アメリカからの招待客の到着、モルフォでのセミナー、またコロンビア、ボリビア、グァテマラからのメンバーの到着とアテンド、そして国際セミナー当日。それで終わらず再度ペレスに帰って、ボリビアとコロンビアのメンバーに対して研修をやって、メインストリームのメンバーと会議とぎっしりのスケジュールでした。

行事をすべて終え、ホッとしてほんとうはこの後ボリビアに行ってタリハでの4回目の障害者全国集会に参加するつもりでしたが、うまく飛行機の席を確保できず、諦めてちょうど友人が遊びに来ていたメキシコに久しぶりの旅行に行ったのでした。

ちょうど出かける頃にルイスが入院したという情報が入っていたのですが、そのうちよくなって退院して来るだろうと思っていたのが、Whatsappのモルフォのグループから入るメッセージからは反対にどんどん状態がよくなくなっていく様子が伝わってきて、メキシコから帰りサンホセに到着したときにカルロスより明日手術をする予定だという連絡、そして日付が変わった深夜2時頃にはとうとう亡くなったという知らせを受けたのでした。

朝起きてそのままバスでペレスに帰ったら、事務所はお通夜の場所になっているし、翌日は教会でのミサ。そのままバスで移動して埋葬。翌日はみんなで事務所に出てきて片付け。そのまた翌日には今後のことを話し合う緊急の会議を持ってモルフォのメンバーはそれぞれクリスマスを過ごすため実家へと帰って行きました。

ぼくはまだプロジェクトの精算の仕事を残していたので、2、3日残って誰もいなくなった異常に静かな事務所で一人残って領収書の整理。日本に帰国したのは年末ぎりぎりの28日でした。



モルフォはすでに来年度からまた5年つづくプロジェクトの第2フェーズに向けて動き始めていますが、この間のブログの空白期間は改めてルイスのことも含めて振り返って書きたいと思います。取り急ぎ今回到着後のことを報告しておこうと思います。




さて、前置きが長かったですが、今回は2月4日にコスタリカ到着、翌5日にペレスセレドンに到着、そのまた翌日6日月曜日から出勤しています。この日の午後にはトップの写真にあるようにウェンディとえりエセルがコロンビアでのJICAプロジェクトから依頼があったピアカウンセリングの講座の講師として出発するので、午前中にスタッフ会議を開いて、今後の日程、15日から来るメインストリーム協会メンバーとの会議の日程の確認、第2フェーズを開始するにあたっての手続きの確認、第2フェーズに行う活動の確認などを行いました。




さて、ウェンディたちはこの日午後サンホセに向けて出発。翌日コロンビアの首都ボゴタに到着JICAで打ち合わせ。昨日最初の研修を行うメデジンに移動。今日からいよいよ本番のピアカウンセリングの講座が始まっています。なんだかぼくもドキドキしてきます。上のビデオは地元のカナル14がコロンビア行きを取材してくれたものです。

このモルフォというプロジェクトは、JICAのプロジェクトそのものにはコスタリカ外に自立生活運動を拡めるという目的は入っていませんが、開始当初からここを通じてラテンアメリカ全体に運動を拡めたいというメンバー全員が思っていて、それは隠れた目的として持っていました。

そんなことを考えることがおかしいなっていうくらいプロジェクトが低迷した時期もありましたが、昨年念願の自立法も成立させたモルフォメンバーの自信、スカイプやSNSを使った交流はラテンアメリカの障害当事者間ではここ数年どんどん進んで行っていたので、これはもう後戻りできない実態として中南米でのモルフォの存在感というものが確立して行きました。


今回コロンビアのプロジェクトでのモルフォのメンバーが呼ばれた理由のとして、JICAの障害者支援の中で障害を持った当事者が当事者を支援する一つの形として、ピアカウンセリングが重要なツールとして考えられているという流れがあります。ざっと見渡してみて、南アフリカでの草の根プロジェクトでの当事者サポートグループの形成、ヨルダンのシリア難民支援でのあるる安原さんの活躍、パキスタンで実施中の草の根プロジェクトからは現在アリさんが来日中で、神戸のリングリングが中心になってアリさんカウンセラーとして一人前にして養成できるようにプログラム実施中です。もっと短期の専門家派遣を入れるとさらに様々な国々で日本のピアカウンセラーが活躍しています。

その中でもコスタリカにピアカウンセリングが伝わったのは比較的早かったのではないかと思います。最初にコスタリカで講座が持たれたのは2011年2月リングリングの中尾さんとあるるの安原さんが訪問して長期講座を行ったのが最初でした。2008年から13年までつづいた日本での自立生活研修でも毎年ピアカウンセリングが組み込まれていましたし、モルフォプロジェクトの初年度にはスサーナとジゼルがリーダー研修のために日本に行きました。

このように現在スペイン語を使ってちゃんと講座を開催できるのはモルフォのメンバーだけで、ちょうどエンパワメントのためにピアカウンセリング講座を開催したいと考えていたコロンビアのプロジェクトから声がかかったというのが今回の渡航までの経緯になります。

本来なら、日本とコロンビアの間で実施されているプロジェクトであるので、この場合日本からピアカウンセリングの専門家が訪問して講座を開催し、技術の移転をするというのが筋であったであろうと思いますが、講座の参加者の理解力に問題がある人もいて、通訳を挟むより同じ言葉でやった方がいいだろうというプロジェクト専門家の方の判断で、モルフォに依頼しようという判断になったようでした。

ラテンアメリカではどの国も、貧富の差が激しく教育レベルの差も激しく、障害者はとりわけそのような状態が改善されないまま放置されていることが多く、それはまたそのまま当事者の自己肯定感の低さに直結しているので、どこの国でもまず障害者はエンパワメントして、自信を回復してからでないと自立生活運動は難しいという話を聞きます。ぼくもモルフォが今後コロンビアだけにとどまらずそれ以外のスペイン語圏にも出かけて行ってピアカウンセリングを行えるような方法を探っているところです。

メデジンでのピアカウセリング講座初日自己紹介の様子です



2016年11月11日金曜日

イサベル・チャモロ Conapdis代表来所


さて、今週火曜日にペレスに戻ってきました。
本当は土曜日にサンホセに着いて、翌日にはペレスセレドンに移動するはずだったのですが、土曜午後のサンホセ行きの便が火山の噴火の影響でキャンセル。翌日はすでにサンホセ行きの便が全部埋まってるということで、月曜日まで待たなくてはならずヒューストン2泊という思わぬ展開になってしましました。

じつは、10月に一旦帰国する際もユナイテッド航空のシステムが全世界的にダウンするという事態になっていてキャンセル。サンホセで翌日の便を待つという経験をしたばかりでしたので、さすがにうんざりとしてしまいました。

週末土曜日には日本とアメリカからの訪問団が到着し、どこから怒涛のような毎日が月末まだ続くので早めに着いて準備をするつもりだったのが、いきなり二日ほど浪費してしまいました。

火曜日、直接事務所に行って日程の確認などをしようと思ったら来客がありました。サンホセからConapdis代表のイサベルさん、同じくConapdis職員のフロールさん、ペレスセレドン支部のパウラさんも同席していました。ウェンディが何日か前に自立法の実施についてお話ししたいので面会したいというレターを送っていたのを思い出し、すぐに何の会議をやっているのかわかりました。

行くとちょうどルイスがプロジェクターでモルフォの介助時間や介助の内容をまとめた表を見せて説明しているところでした。この後も説明しては質問するが続き、最終的に6時くらいまでやっていました。

イサベルさんは、ちょうどTRYコスタリカをやる4月に3ヶ月の約束で代表に就任したのですが、代わりがいないらしく最終的に12月18日までやることになっています。モルフォに好意的でこの時期に彼女がConapdisにいたことが自立法の成立にも大きく影響しました。



二人とも熱心にメモを取りながら聞いており、フロールさんは自立法を印刷してConapdisがやらなければならない部分にはすべてマーカーで印をつけているものを持参してきていました。

途中からぼくも加わり、プロジェクトの第2フェーズが実施されることが正式に決まったことを報告し、第2フェーズでやれることを説明しました。第2フェーズでは政府関係者を日本の介助制度を勉強するために研修する予算が取ってあるためその説明もしました。絶妙のタイミングでコスタリカに帰り、第2フェーズでのConapdisとの連携を確認する機会を持つことができました。

イサベルさんは12月に代表は退任するのですが、来年から理事会の方に加わり自立法のことは今後も理事会でフォローすると言ってくださっているので、とかく関係がぎくしゃくしがちな理事会に強力な味方がついたことになります。

会議が終わってもう外は暗くなってきた来て、それぞれが話残したことを思い思いに話し始めたとき、フロールさんが、プロジェクトKaloie時代2011年に当時まだコンセホと呼ばれていたConapdisの事務所で今のモルフォのメンバーと会議をしたことを思い出し「あの頃はまだ、法人格を取るだの取らないだなのと言ってたのに5年でこんなになってすばらしい」と言ってくれたり、イサベルさんがあらためて支援してくれている日本の政府に感謝したいと言ってくれたりして、プロジェクトの最終年にふさわしいなんとも言えないすべての苦労が報われるようなコスタリカへの帰還でした。

2016年10月13日木曜日

旧姓新井優子修行研修(ちょっと書き足したバージョン)


さて、ぼくはコスタリカ時間の10月14日の深夜にサンホセを発って今頃太平洋上を飛行しているはずだったのですが、こんなトラブルに巻き込まれてまだサンホセにいます。さっきブログを読み返していたら出発前にバタバタで書いてたので、なんで新井さんがコスタリカにいるのかがいるのかが全然わからなかったので補足しながら書き換えておきますね。

メインストリーム協会では、「修行研修」と称して障害者スタッフを最低一月単身海外の自立生活センターに送るということを昔からやっています。古くは沖田大のネパール、最近では茂上くんのカンボジア、数矢くんのネパール、平田さんのパキスタン、鍛冶くんのモンゴルなどがあります。JICA的な表現を使うとメインストリーム協会は障害者のエンパワメントのスペシャリストであると言っていいと思うのですが、こうやってスタッフ自身がそれまでの自分の持っていた限界を超える試みを行っています。なにも海外に行くのが特にすごいことだと言いたいわけではないですが、ここにあげた障害者スタッフはすべて介助者の必要な障害者で、英語も現地の言葉ももちろん話せるわけでもなく、茂上、数矢にいたっては言語障害がきついのでぼくらが普段日本語を聞くのも難しい状況です。そんな中その国の介助者を使って、日本での活動を伝えたり現地の国の状況を聞いてきたりするわけです。

ぼくは、メインストリーム協会で働く健常者職員として、ずっと色々な活動に関わってきて、「ああまだ自分には偏見があったな〜」と思わせられることがよくあり、それを感じてそれが取っ払われた時がこの仕事をしていて楽しいなと思う瞬間でもあります。この一連の修行研修もそうしたものの一つで、行ってやってきたら当たり前になってしまうことでも、その前は想像もつかなかったり、どこか無理だろう〜と思ったりもしていたんですね。そうしてまた逞しくなって帰ってきたみんなを見てこれでメインストリームも一段と強力になったと感じるわけです。

さて、今回の新井さんの修行研修はこうした一連の研修の一環になります。
まあ修行研修と言ってもコスタリカは上にあげたアジアの国に比べたらずっと発展していて環境もいいですし、こんなもの食べるの無理といった食べ物もありません。ひょっとし一ヶ月間のバカンス?とも考えられなくないのですけど、ここには少しだけハードルがあげる仕掛けがしてあります。写真に一緒に写っているゆうゆうは17日に帰国。そのあとはまったく日本人一人になります。他のアジアのセンターでは代表は元ダスキンの研修生でみんな日本語ができますし、困ったら頼ることができます。ここではそれができないので、ゆうゆうが帰ったら単独スペイン語orちょっと英語で生き残ってもらうことになっています。と言っても新井さんはメインストリームではおそらく一番語学のセンスがあるので、すぐにスペイン語で馴染んでやってくれると思ってるんですけどね。
さて、では昨日の続きをどうぞ。

☞10月10日月曜日サンホセに上がって、いつものホルへといっしょに空港まで迎えに行ってきました。ほぼ定刻、総計2名いうのでそれほど遅れもなく出てきました。



この夜はホテルに行き、おきまりのChellesでの遅い夕食。翌日お昼頃のバスでペレスセレドンへ向かいました。で、これもおきまりの歓迎会。
















ぼくは13日サンホセに行き、14日日付が変わった頃の深夜か早朝かわからない便で一旦日本に帰国するので、翌日12日だけが諸々引き継ぎができる時間でした。家に帰って洗濯などして翌日色々やらないとと思ったりしながらベッドにゴロッとしてたら事務所から電話が。「お湯が出ないんですけど」

「あれ?」たしかにぼくが家を探す前に一週間ほどいた時もお湯は出てなかったのですが、それから色んな人が体験ルームを使って、女の子もいたのでてっきりもう直して出るようになってると思ってたんですね。新井さんは長旅の後ホテルでもシャワーを浴びれなかったので、ようやくさっぱりできると思ったらまた延期になってしまいました。
取り急ぎ、カテリンが事務所によく来るブライアンの弟が修理ができるというので翌日来て、直してもらうことにしてこの日は終わりました。なんか、このバタバタぶりは、日本に中南米の研修生が来て、何がないとか、使い方がわからないとか、しばらく落ち着くまで大変だった頃をふっと思い出しました。

さて、翌日。





何事もなかったように朝食終え、しばらくして10時から女性の介助者の人たちが集まって、まず新井さんが来てから月末までのシフトの確認。利用者側のシフトを読み上げて、介助者が間違えないか確認していきます。その後新井さんの介助について口頭で説明した後、部屋に移ってトランスファーの練習。



そんなにダメ出しされることもなく形だけできたらとりあえずオッケーが出ました。この日は朝いい天気だったのですが、午後から雨でかなり強く降りながら夜中まで降り続いていました。買い物に行くタイミングもなくすぐらいだったで、久しぶりに中華のチャイナタウンで出前を取ってみんなで会食でした。まだトイレやカテーテルの交換のやり方が安定して定着してないので多少の不安あるみたいでしたが、ぼくが見る限りぜんぜん大丈夫。スペイン語もどんどん覚えているので、ぼくは11月5日に帰ってくるのですけどすごく楽しみにしています。

今回新井さんの滞在は11月27日まで、その間「国際自立生活セミナー」やメインストリーム協会の草の根の研修も入り盛りだくさんのスケジュールになっています。取材もいっぱい受けてコスタリカに自立生活が広がるのに一役やってもらういい機会ですごく期待しています。