2012年9月30日日曜日

マルチャ!



金曜日にデモをやってきました。本当は土曜日11月29日がコスタリカが国連の障害者権利条約を批准した日でこの日を記念したデモなのですが、週末は町中に人がほとんどいないということなので、平日の28日にすることに決めました。

当日朝はあいにく雨で、コスタリカは今雨期でほとんど毎日雨が降っているような状態なのですが、それでも朝から雨が降るのはめずらしく、ちょっと出鼻を挫かれた感じになりました。案の定集まりも悪く、いっしょに準備してきたペレスセレドンの障害者グループからも何人か脱落者がいてなんだかな〜っていう出発でした。

しかし天気はピーカンいい天気で、デモは日本でもどこでもそれだけで楽しいので、みんなの気持ちはどんどん盛りあがってきました。とくに通るホテルや店舗を一つ一つ褒めたり貶したりするジゼルのMCが面白くそれを聞いてるとみんな盛りあがってきました。














この道路はこちらでインテルアメリカーナと呼ばれていて、北南米を一本で繋いでいる道路の一部です。ここを通ることを昨年は交通局の許可が出たのですが、今年はなぜか降りずに無許可でやることに。けれども警察と赤十字の先導はちゃんとありました。地元のFM局も協力して車を出してくれたのでMCもそれを使ってばっちりやれました。暑くて最後の方はしんどくなりましたけれど、町に入るとけっこう注目されていたので少なくてもやってよかったな〜と感じました。いつものように写真全部フェイスブックにあげてるのでまた見てね。





















2012年9月29日土曜日

IMASとのプロジェクト決定しました。

左中央で話しをされてるのがオルガ・ソニアさん

ふ〜。この一週間は展開が早すぎてブログ書くのが追いつかないです。ここではちゃんと紹介してないですけどあやぶーもちゃんと到着してますよ〜。ご安心を。今日は陽子さんといっしょに山に鳥を見に行ってます。ぼくは今日はちょっとゆっくりさせてもらってます。

さて、今日のは木曜日のネタになるのですが、IMAS社会保険庁本部(Instituto Mixto de Ayuda Social)のオルガ・ソニアさんが来所され、IMASペレスセレドン支部長のウィルベルさんコンセホのパウラさんとモルフォのメンバーとミーティングをしました。

この会談はもともと今月の最初、ウィルベルさんが日本から帰った直後に予定されていたものですが、流れ流れて先日木曜日となりました。ぼくがコスタリカに着いた直後6月28日にサンホセでモルフォのメンバーがIMAS総裁のフェルナンド・マリン氏と会談し、そこで総裁から自立生活そのものをIMASのNGO支援のプログラムを使ってプロジェクトにしたらどうかということが提案され、ぼくらは何とかこの提案を具体的なものにしたいと、ウィルベルさんを日本に招待して実際の障害者の生活を見てもらったり、制度の仕組みや資金の流れなどを説明したりして視察してもらいました。

IMAS本部のオルガ・ソニアさんも前プロジェクトのKaloieから日本に視察に行った経験があり、コスタリカで障害者の自立生活を実現するのが彼女の夢でもありました。オルガ・ソニアさんは任期が残り半年ばかりなのでぜひ自分のいる間にこれをプロジェクト化したいという思いもあり、ぼくらはこの機会を逃したらもう次いつこんなチャンスが来るのかわからないと、活動計画の順番を無視してこれを最優先に活動してきました。














ミーティングは午後5時からの予定だったのですが、オルガ・ソニアさんたちは少し早めに着いて、まずここの当事者の人に補助金がどう使われているかの簡単なインタビューから。ウィルベルさんが遅れていたのでミーティングが始まったのは5時半を回っていました。

どんな流れになるのか予想がつかなく、やや交渉めいたものになるのかとも思っていたら、オルガ・ソニアさんの口から出たのは、もうここで実際にどう進めるのか期限を決めましょうということでした。そして2月にプロジェクトは開始し、それまでにすべての準備をしておくことなどを申し合わせました。モルフォはとんまな弁護士にひっかかっていて、法人格がまだ取れておらず、何はともあれちゃんとした法人にすることが大前提となります。

ウィルベルさんが日本で視察して来たことをもとに補足してくれ、介助に使われる資金は障害者自身には一銭も残らず、それは賃金として介助者に流れるので雇用対策にもなり、ちゃんと透明性があるなど説明しました。最初の総裁のアイデアではNGOに一定の資金が流れて後はこちらで自由に使えるようなかなりざっくりしたものだったのですが、実際にプロジェクトを具体化していくうちに、日本の実際も加味されそうで、かなり日本の制度に近いものになるかも知れません。

ひとつ気になったのは、ミーティングの中で頻繁に「生産的」という言葉が飛び交っていて、おそらくIMASの人たちがイメージしているのは基本的人権としての介助者ではなく、自立〜就労支援的なもので、一定期間支援した後は自力で働いて介助者を雇うことが考えられています。コンセホの中でもこうした考え方は珍しくなく、これからプロジェクトを具体化していく過程で、仕事ができないような障害者でも介助者を使えるような言質を取ることが課題になると思います。














ミーティングでは実際に働いている介助者の人たちも紹介しました。彼らも障害者と関わってどんなに障害者自身やいっしょに町に出ているときの見方が変わったことなどそれぞれ感想を語ってくれました。

もうひとつ、ぼくらは今日本で研修しているカルロスが帰ってきたら一定期間こちらに住んで一緒に働いてもらうことを計画しています。メインストリームでも時々やるような当事者の研修のイメージです。2月の全国集会はサンホセでやるので一緒に準備もしてゆくゆくはサンホセに帰ってセンターを運営するという流れです。こちらではルイス・アルベルトも抜けるので介助者の人の仕事を確保する意味合いもあります。カルロスが経済的なことを心配していたので、IMASの人に確認すると生活費は出せるということなので、後は介助なのですが、コンセホでは難しいらしくこれはプロジェクト負担になりそうです。

2012年9月27日木曜日

議会に乗り込んでやった!


こんにちは。いのうえです。

昨日こちら時間で午後5時頃無事にあやさをピックアップしてここペレスセレドンに到着しました。事務所ではご飯を用意してくれており、今月いっぱいで地元に帰るルイス・アルベルトとエレーナ、誕生日のルイス・エルナンとあわせて歓迎会を行いました。

昨日の朝はかねてから準備していた記者会見が行われました。28日のデモの宣伝と、ここでやっている活動をもっと広く知ってもらうことを目的で計画していたのですが、実際に来たのは地元の2社とかなり寂しいものとなったようでした。いつものようにustreamで録画しているのでまたご覧になってください。

この会見にはウィルベルやパウラ、ケンブリーさんなどぼくらの活動を支援してくれている人も参加してくれていたのですが、そこでパウラさんから昨日夜議会でバリアフリー用に確保している予算を別な目的に使おうとする審議があることが伝えられ、これは乗り込まなくてはならないということで、歓迎会の後みんなでペレスセレドン市役所まで駆けつけました。















しかし議会に行くにはご覧な感じでアクセスできなくなっています。みんなでジゼル、マイノルと順番に2階に上げ、スサーナをあげようとしているときに、審議がストップされ議員がみな退出し始めました。かろうじて間に合ったジゼルが議員のケンブリーさんとともに抗議の演説をやったそうですが、かなりひどい罵声が浴びせられたようでジゼルは叫びまくって議会から出てきました。


中は一時騒然となったようで傍聴していたパウラさんも興奮気味、議員の何人かはぼくらにも馬鹿にしたようなしぐさをして階下へ降りていきました。

ぼくらはその後隣接する公園に行って、モルフォのメンバー、パウラ、ケンブリーさんと反省会。彼らの態度も問題ではあるのですが、ぼくらもちゃんと継続的に議会を見張っていないことにも問題があることもわかりました。この日の抗議行動はもともと計画されていたのではなく、たまたまパウラさんが言ったので行ったまでで、しかもルイスアルベルトが「7時15分から議会があるけど誰が行くの?」って言い出さないとおそらく誰も動き出さなかった。さらにルイスエルナンが事務所を出て逆方向へ行こうとしたので、「あれ?行かないの?」と訊くと「疲れてるから帰る」と言ってそのまま帰ってしまう始末。今のモルフォはチームとしては崩壊寸前ですね。みんな無我夢中で目の前の仕事をやってきて、何となくうまくいってるような気になっていたけれど、一段落してふと目の前を見渡したらまったく何もできていなかったというの現状。今日の午後はIMASの人たちとのミーティングもあるけれど、ここしばらく正念場ですね。

2012年9月23日日曜日

ウェンディの家が!


おはようございます。昨日はみんあつきあってくれてありがとう。ちょっと煮詰まってたので、いい気分転換になりました。

木曜日のブログでしばらく雨が降っていないことをお伝えしましたが、この時期は毎日降るのが当たり前で、二日降らないと気温も上がってかなり不快指数も上がってきます。先週金曜日はそれが三日目に入っていて、こうなるとたまった分が一度に降ってくるので相当強烈な雨になります。それが金曜日の午後でした。このとき事務所では介助者との人とのミーティングをしていたのですが、いつものガレージだと雨の音で会話が成り立たないので、事務所の中に移動。事務所の中も一時雨漏りで浸水してたいへんでした(会議も大荒れでたいへんだったのですが)。

この日帰りにウェンディの家が洪水になったという話しは聞いていたので、昨日様子を見に行くと不在でした。セントロで昼飯を食べているとウェンディからSOSメール。ウェンディはどうやら大学に行っていたらしく、介助者だけじゃどうにもならないので来てほしいとのことでした。















行くと部屋はごらんのような様子。ぼくは基本的に西宮という気候が温暖な地域に住んでいるので、ニュースでは見たことあるけれど実際にこんなに部屋が浸水して泥だらけになっているのを見るのは初めてでした。

介助者のメリーナの部屋も

浸水はおそらく腰の高さくらい来ていたはずなのですが、なぜかベッドのマットが無事でそこに置いてあったコンピュータも無事でした。ウェンディは雨の降った晩はスサーナの家に泊めてもらったそうですが、この日はこの部屋で眠るつもりにしていたので、とりあえず荷物を全部出して片付けることに。デレと大家さんに呼ばれて来ていた家に問題があったりしたときに直してくれるおじさんとしばらくしたらメリーナのお母さんが来て、荷物を全部出して、水と泥を掃き出し、掃除をしてベッドを元に戻しました。もともと引っ越しして間もないので荷物があんまりなかったのも幸いして3時間ほどで最低限の復旧ができました。

私たち中毒だからってまずインターネットを救出















ウェンディが終始落ち着いて笑っていさえしたのが、面白く、ウェンディは前の家でも誰か不審者にガラスを割られたりしたりする事件もあって、女性の一人暮らしで色々あるのですが、いつでも前向きに落ち込まず実際的に物事を解決していくのが頼もしいです。

2012年9月22日土曜日

さよなら


すでにお伝えしていますが、長年いっしょに活動してきたルイス・アルベルトが今月いっぱいでグループを離れることになりました。すでにスタッフには対しては話して了承されていたことですが、昨日介助者とのミーティングで改めて伝えられました。

もともとルイス・アルベルトとは毎月の家計が成り立たないということを前から聞いていて廉田さんはじめ日本のメンバーも相談に乗ってきましたが、同じ生活をしている限り毎月赤字になるのは目に見えていて、ルイスとしては介助派遣が始まってその請求のシステムを作り終え、それが機能しているのを見届けたのを目処に辞める決心をしたようです。

ルイスはこの7月に正式に大学を卒業して学士となったので、それを武器に会計士と働きたいと今後の希望を話していました。プロジェクトとしてもすぐに給料をあげてあげることもできず、引き留める材料も尽きてしまったのでやむを得ない結果となりました。

ルイスは何度もこのプロジェクトが嫌で出ていくのではないと繰り返していましたが、それはぼくらも理解しているつもりです。昨日のミーティングでも彼がどれだけみんなに愛されていたかがよくわかりました。


















2012年9月20日木曜日

ウェンディビデオ撮影開始!


こんにちは。いのうえです。
ここ二日ほどほとんど雨が降っていないため気温が上がって不快指数も合わせて上がってきます。おおむね順調に来たこのプロジェクトですが、ここに来て色々考えないといけないことも出てきてブログを書く意欲もやや減少気味です。

さて来週の金曜日はいよいよ、コスタリカが障害者権利条約を批准した日を記念したデモをやります。昨年は問題なく取れた道路許可が今年はなぜか下りずに昨日もこちらの障害者グループが集まって対応を協議していましたが、コスタリカではほとんどのデモが許可を取らずにやるということなので、グループも最初のプランのまま決行することを決めたようです。

デモの宣伝とこちらでもっと自立生活センターのことを知ってもらうのを目的として、26日火曜日にはIMASのウィルベルさんやコンセホの人たち他、行政関係の人をゲストにして、マスコミ向けの記者会見をします。

そのときに自立生活運動を紹介するビデオを上映するので、一昨日からJICAの協力隊員の宮西さんがウェンディの一日を追ったビデオを作成中です。














2月か5月にこちらに来た人はご存じかと思いますが、宮西さんは2010年1月からここペレスセレドンのリハビリ協議会(コンセホ)に協力隊員として派遣されています。ここのグループホームを回って障害者の介助をしながら施設の改善法などを提案したりするのが仕事なんですね。このグループが以前コンセホを事務所として使っていたためここのメンバーともすでによく知った仲です。

じつは、ここで自立生活を紹介するビデオを作るのは2回目。すでにルイスエルナンの一日を生活を紹介するビデオを宮西さんが作ってくれたのですが、それから事務所も新しくなったし、介助派遣も始まり状況がかなり変わったので、これを機会に新たに作り直すことにしました。宮西さんはかつてカナダのフィルムスクールに通っていた経験があるので、こんなのはさらっと作ってしまうんですね。ごらんのように撮ったすぐからさっそく編集しています。















昨日は一日ウェンディを追っかけていたのですが、6時に起床〜出勤〜ペレスセレドンの障害者グループとデモの打ち合わせ〜昼食〜スタッフ会議〜大学〜就寝と午後11時までみっちりのスケジュールでした。ぼくらもウェンディと一緒にモール横のラティーナ大学に行って来ました。夜なのにたくさんの学生が勉強していて、驚いたのは帰りのバスは10時を回っていたのに、大学から町まで帰る間ほかの学校で勉強していた学生もどんどん乗ってきてずっと満員で終点まで行ったことでした。教育が基本というのはこの国にいるとよく感じることですが、さらにまたその印象を深めることになりました。家に着いたらウェンディもぼくらもぐったり。ちなにみウェンディは今日の朝5時半のバスで「女性障害者のための研修」参加のためサンホセに行っています。ほんとによく頑張ります。

7月に研修に来たチームは宮西さんのことを知らないと思います。じつは、ぼくがここに着いた6月29日に歓迎会をしてくれてそのときに再会したのですが、その週末日本人会の野球大会に参加なんと左腕を複雑骨折してそのまま日本に帰り緊急帰国。2ヶ月こちらを不在にしていました。9月3日にこちらに帰って来たのでさっそくビデオの撮影を依頼したというわけでした。

2012年9月16日日曜日

9月15日独立記念日


こんにちは。昨日はここコスタリカでは独立記念日のお祭りでちょうとお昼頃通りはパレードで賑やかでした。Wilipediaによれば、中米全体が宗主国のスペインから1821年9月15日独立した日を言うらしく、前日テレビではグァテマラからずっとオリンピックの聖火のようなものを持ってランナーが走ってくる様子を中継していました。これは毎年やる行事のようなものでこれでスペインからの独立を中米全体に知らせるようです。
金曜日に花火を見ているとき、チューチョに「独立してから何年なの?」って尋ねたら答えられず隣にいたウェンディに訊いていたのが、まるで真名野くんが勝也に訊いてるみたいでおかしかったですねw。独立してから191年らしく、意外と最近なんだなーと改めてこの地域の歴史を調べてみたくなりました。














パレードは、マーチングバンドが中心で曲を演奏しながら歩くものや、きれいな民族衣装を着て踊りながら歩くもの、牛車を牽きながら当時の様子を再現しながら歩くものなど色々です。基本的に地元の学校が中心になって組織されています。ぼくがこちらに到着したらもう練習が始まっていて、休みの日によくドンドンと太鼓の音がよく鳴っていたので、アレックスにあれ何やってるのって訊くと独立記念日のために練習だと教えてくれました。アレックスは太鼓を叩いていたらしく、あまりにイメージがぴったりなのでおかしくて笑ったら怒ってましたねw。


じつはぼくはこれでラテアメリカの独立記念日をこちらで過ごすのは3回目なんですね。他にメキシコとチリにいたことがあります。メキシコはここと同じ15日、チリは9月17日だったと思います。メキシコにいたときは当時早稲田の教育学部の学生だった平田くんという青年と一緒で、彼はぼくが毎日スペイン語を勉強してるのに影響を受けて、学校に行きだしたんですね。そうこうするうちにメキシコの原住民にキリスト教がどうやって普及していったかを研究する研究者になってしまいました。この間外交官試験に合格した坂井くんは平田くんの授業を取っていたらしいです。ラテンアメリカ絡みで色々つながっていきます。



パレードチラッと見て帰ろうって思ってたんですが、次どんなのが出てくるのかと思って見ていたらけっこう楽しめました。太鼓がドンドン鳴って意味なく楽しい感じ。鳴ってる音楽がメレンゲの名曲でこっちでは誰でも知ってる曲だったり、女の子がステップ踏んで歩くのが微妙にサルサだったり。写真をフェイスブックにあげて置いたのでまた見てください。


2012年9月15日土曜日

前夜祭


こんにちは。今日9月15日はここコスタリカの独立記念日で休日です。昨夜はその前夜ということで公園で催しがありました。


昨日はまず朝早くからラウラさんの運転するタクシーでサンホセへ。マイノル、ウェンディ、ルイス・エルナン、介助者のエレナとアルベルトとぼくというメンバーでした。サンホセでの仕事は国会のミーティングルームで、ぼくらの古くからの知り合いのエリカがアドバイザーをしているPAC(Partido Acción ciudadana)という政党と他のいくつかの障害者の団体とがその時々に問題となっているテーマについて調整したり対応を考えたりする集まりでした。

昨日議題になったのは、Biomédica法といって意識がない状態の患者に試験的に未認可の薬や治療法を適応することを可能にする法律です。これが通ると知的障害を持った人、自分で判断ができない人が実験台になってしまう可能性があると障害者団体は反対しています。

もう一つよりぼくらに関係が深い問題では、自立法というウェンディが日本に研修に来たときから熱心に勧めていた法律があって、これが認められると国は障害者が望むように介助者をつけないといけないようになっています。ウェンディなどはこれに介助派遣の希望をかけてずっと採択できるよう運動してきたのですが、どうやら最近の動向ではあまり国民の関心をひいていないということで、お蔵入りになりそうになっているということです。










ぼくはこれまで外からこの法律にまつわる動きを見てきたり聞いてきたりしてきたわけですが、今回コスタリカに来てこうした場に参加して話しを聞いていると、ちょっと今の状況では採択にはほど遠くて、これにエネルギーをかけるだけ無駄なような印象を持ってしまいました。マイノルが最後に10月末のリハビリ週間のときにデモをしてもっと訴えたらどうだろうという提案をしていましたが、まだコスタリカにはきっちりした障害者団体の全国組織も存在しないのでまずそうしたものを組織して、あらためてプレッシャーをかけてやり直した方がいいのではないかと思いました。

その後、サンホセ内の弁護士事務所へ。法人格取得のための書類作成を依頼している弁護士のところに書類を取りに。なかなか仕事してくれないのをほとんど脅して作らせてやっと書類をもらってきました。ペレスセレドンへ帰る道は大雨でしたが、帰ると雨も上がって、公園は前夜祭を楽しむ市民で一杯でした。先に到着しているメンバーと合流して花火を見てそれぞれ帰宅。


花火を見ながら、「ああ今年もこの人たちとこの日を過ごしたな〜」って奇妙な既視感に囚われてました。

2012年9月13日木曜日

ピアカン報告


こんにちは。いのうえです。

ジゼルとスサーナが日本でのピアカウンセリングの研修から帰って来て半月となりました。ちょっとタイミングが遅れた感もあるのですが、スタッフ会議の時間を使ってジゼルとスサーナが日本での経験を報告しました。やる気満々で帰って来たのですが、残念ながらこちらでは他に優先することが詰まっていてなかなか成果を発揮する機会がないのがかわいそうです。どうやら本格的な講座を開くのは来年度以降になりそうです。

アレックスはいませんが、ジゼルとスサーナが帰って来てやっとスタッフ会議らしくなってきました。今日は終業の4時を回っても会議は続きました。

今日の議題は、まずメンバー以外の介助派遣の件。事務所を開いているとメンバー以外にも介助者を派遣してほしいという依頼がきます。それは家族が欲しているのか本人なのかひとつひとつケースを判断していかないとなりません。派遣して収入もほしいしと議論の内容がかなり自立センターらしくなってきました。他に、朝早い介助だとバスがないのでタクシーを使わないといけないケースがあって現在は介助者の負担になっているのですが、ちょっとこのままでは介助者の人もかわいそうだからなんとかならないかなどなど。楽しいですねこういう議論は。

ではでは、明日は久しぶりにメンバーとサンホセに自立法関係の集まりに行ってきます。また来週かな?

2012年9月12日水曜日

マイノルの秘書


こんにちは。いのうえです。こちらでのボランティアもようやく半分を過ぎようとしています。毎日ブログではこちらの活動を色々紹介していますが、じつはぼくのやる仕事って言うのはほとんどないんですね。

7月介助者研修があってその後介助者派遣が始まるくらいは、色々日本でやっているやり方を伝えたりしましたが、その後は請求業務まで含めてすこぶる順調、ぼくが口を挟むところはあまりありません。一応ボランティアの要請としては、この分野のサポートで呼ばれているのですが、実際の仕事は事務所内の交通整理のようなことに移っています。

具体的には、朝礼を毎朝やって予定を確認するとか、月初めにはその月の予定を確認するとか、スタッフ会議を習慣化するとか、仲間の送歓迎会や誕生日を祝う大切さとか、あんまりいちいち言うのも面倒なことを気がついたときに指摘するようなことをずっとやっています。

ぼくが来た頃には、2ヶ月見通せるボード式の予定表があるにはあったのですが、日にちが右から左行ってまた右に戻って左って進むように書いてあったんですね(笑、わかるかな〜。まっすぐ降りて上旬が終わって次に下旬となるはずが、一月がジグザグに降りていくから、訳が分かんない予定表になってたんです。

そんなのをまともに直したり、メインストリームがやっているように全員の月ごとのシフトを一カ所で管理するようにしたり。ちょっと放っておくとみんな小部屋にこもって仕事したがるので、また大テーブルに戻したり。そんな時々小言めいたことを言いながら過ごしています。

毎日きっちりやる仕事って言うのは、ブログを書くくらいで他にはあんまりありません。なので、マイノルがどっか行くときにはたいてい着いていっています。

今日はパルマレスといってバスで30分弱のところのビール工場に行って来ました。28日にやるデモの時に使うテント借りるためでした。デモが終わった時に出す軽食とかもみな寄付で賄うのでその要請をしたりするのが準備のときの大きな仕事になります。今日もそのひとつでテントをこうした企業に貸してもらいに行って来ました。当日会社の人が来て、設置から撤去までやってくれることを確認してサインして帰って来ました。今日午後から事務所にはここの障害者グループの人たちが集まって「デモ会議」をやっています。













一昨日月曜日は市役所で行われた「アクセス委員会」に行ってきました。「アクセス委員会」と言ってもモルフォのメンバーと議員のケンブリーさんしかいません。他に市の関係者が2名いるのですが、今市役所は2つに割れて対立していて、ケンブリーさんと他のメンバーが対立してるんですね。なので他のメンバーは出席しないそうです。こんなゴタゴタに巻き込まれてこの委員会が開催されるのもかなり久しぶりだそうです。マイノルは、「もうこんな状態で何年も進まないなら、もっと強い手段に出た方がいいかもと思う」と言ったら、ケンブリーさんは「これは市で法的にきっちり規定された委員会だからここで決まったことは市はやる義務があるのだから、もう少しちゃんと進めましょう」となだめる一面も。

しかし、この委員会にはちゃんと部屋も貸してもらえないので、雨が降ってきたらこのとおり、雨を避けて避難したところにも容赦なく雨が降ってきます。






2012年9月7日金曜日

スサーナ誕生日〜


日本でもやってもらって、この間も9月生まれで事務所でもお祝いして、もういいやろって感じもするんですが、昨夜が本番でスサーナの家に招待されてみんなで行ってきました。

2月にこちらに来たとき、夜遅くスサーナをタクシーで送っていったことがあるのですが、出てきたお母さんが日本メンバーに挨拶もなかったので、あまりウェルカムじゃないのかなーって思っていたのですが、開所式には両親揃って来てもらったしどうやら思い違いだったようです。

これでメンバーの家はだいたい行ったことになります。以前は夜中にタクシーで行くだけで、町のどのへんにあるのかすらわからなかったのですが、だいぶ土地勘もついてきてスサーナの家はぼくのいるホテルから意外に近いことが判明。帰りはあの急激な坂を逆から降りて帰れました。

仲良し〜


仲良し〜

さて、最近のコスタリカですが、9月15日が独立記念日なので町中ではあちこち飾りがつけられています。













































先日行った保健省でも、スーパーでも片隅に独立当時を思わせる伝統的な飾り物が置いてありました。事務所でもジゼルの仕切りのもとアルバロにも手伝ってもらってコスタリカの3色カラーを使った飾りをつけているとこです。













あっ!そんなところに日本から荷物が!おっちゃんからのプレゼントです。ありがとうございまあす。めっちゃうれしい!

2012年9月6日木曜日

こんにちは、ジェレミーです。



みなさんこんにちは!ジェレミーです。

このブログではちょこちょこ出演してるんですが、こうやってちゃんと出るのは初めてだね。ぼくはジェレミー・アレハンドロ・ソト。このモルフォ自立生活センターで7月から介助の仕事をしてるんだよ。コスタリカで初めての介助だってみんな言ってる。なんかすごいことらしいね。

ぼくは見てのとおりミュージシャン志望。音楽学校にも通ってるよ。大学の友だちのスサーナに誘われてこの仕事を始めたんだ。スサーナかわいいからいつもいちゃいちゃしてる。悪いなキム、jajaja。これがぼくのFacebookのページ。みんな友だちになってくれ。じゃ。「最高だぜ!」


バリアフリーチェック!(今度こそ)


こんにちは。昨日はここコスタリカで地震がありました。多くの方々に安否のメールをいただきましたが、震源地はグァナカステ地方といって、北の方の地域になります。こちらはちょうど反対側の南の方なのであまり影響はありませんでした。どうもありがとうございました。

しかしグァナカステはウェンディとアレックスの地元なので、心配だったと思いますが、二人とも家族に別状はありませんでした。

ぼくらはちょうど、先週キャンセルになって仕切り直しのバリアフリーチェックのために、事務所近くの保健省の出先事務所(日本の保健所にあたります)に集まったところでした。先週はここの障害者グループの人たちがけっこう集まってくれたのですが、保健省の人が今日はそんな予定は聞いてないでお流れに。逆に昨日は、保健省の方は準備していたのですが、こっちの当事者がアルバロとヌーリアという聴覚障害の人しか来てませんでした。こっちで仕事をしているとこんなちぐはぐなことがよくあります。それを改善しないといけないのか、こっちの習慣として受け入れるのかよく分からなくなります。


もともとウェンディがコーディネートをしていた仕事で、誰かに振るつもりだったが誰も来ないので結局ウェンディが別の仕事を終わったマイノルとやって来て1時間遅れで出発。

この仕事は保健省から依頼のあったもので、保健省は7600号というこちらの障害者機会均等法を商店や公共機関やちゃんと遵守しているかをチェックする役目があります。もし守っていなかったら開店の許可を出さない場合もあるようです。今回で3回目くらいだそうですが、保健省はこうして当事者の人と一緒になってアドバイスを受けながらチェックして回っています。今回の担当はマヌエルさんです。











ここは、保健省の向かえ、事務所のすぐちかくですが、歩道を整備中でどうもスロープらしいものも整備しているようです。ここで問題なのが歩道部分はそこにある建物持ち主が所有していて、持ち主がスロープをつけたらそこだけスロープになっていたりしていて高さもまちまちです。場所によったらスロープの登り口はあるのに、出口がないので結局またもとのところに戻って降りて車道を歩かないといけないところがあります。

今日回ったのは、コペアグリというこの地方に展開している大きなスーパーと市の図書館でした。最後に裁判所も行ったのですが、昼休みにかかってタイムアウトでした。



びっくりしたのは、チェックする場所を事前に決めるのではなく、その場で決めるんですね。もともと図書館には行く予定だったようですが、マヌエルさんがコペアグリに行ってみよう!という一言で急遽行くことに。まあ抜き打ちっぽくていいったらいいんですが。トップの写真もスーパーの便所です。ウェンディがチェックしてゴミ箱の位置を指定したり、マヌエルさんもゴミ箱の蓋が取れていたのをちゃんと直すようになど保健所らしい指導も行っていました。



コペアグリはこの地域では一番大きなスーパーで、それなりに色々配慮はしてありました。支店がたくさんあるので、一度従業員を集めて研修をなどという話しも出ていました。今回一番ひどかったのは、やはり図書館かな〜。劇場なども入った複合施設の中にあるのですが、2階でまったくアクセスできません(本をあげる小さなエレベーターはあったけれど)。階段の踊り場には皮肉にも「ようこそ」とありました。


裁判所が昼休み入ってしまったので、なんとなく流れで通り向かいの新しく出来た商業施設へ。商店はもう開店していますが、裏の駐車場はまだ整備中でした。駐車場からのスロープを降りると、ご覧のように新しく出来たサブウェイに出ます。お腹減ったのでさっそく買って試してみました。高いけどね。

何かいい試みなのに、準備が悪かったり、ここの障害者グループをうまく巻き込めてなかたり、せっかくなのにおしいな〜っていうのが今日の感想でした。