2013年10月28日月曜日

全国集会に向けて


こんにちは。今日から月曜日新しい週になりました。
上の写真は先週の金曜日。ちょうどぼくがニカラグアから帰ってペレスセレドンに着いたらサンホセのメンバーが来ていて、全国集会の会議をやっている最中でした。サンホセからはカルロス、アレックス、オスカル、マリカルメン、アンドレス"Chino malo" チェンが来ていました。



水曜から金曜まで会議をして、会社回りの分担やTシャツを作ること、介助者集めのビラのデザインなどを決めたようです。今回特徴的なのはぼくもそうですが、みんなフェイスブック大好きなので、ファイルの共有や意見交換、メンバー集めなどフェイスブックを利用してやっています。会議に参加していない人や遠くに住んでいる人でも今どんな準備をしているかが細かいところまで分かるようになっています。

ビラなどが出来たらすぐにアップされてそれぞれのメンバーがシェアするので、今のところかなりいい反響に見えます。ただすぐに手元の作業で済まそうとするところもなくもないので、ちゃんと施設とか障害者のいるところに足を運ぶことが大事とは言っていますが。今ちょっと議論になっているのが、思いの外海外の人から参加したいという人が多いことで、どういう扱いにするか話し合っているところです。


7月くらいから朝礼はこうしてサンホセとスカイプを繋いでやっているのですが、今朝も予定確認だけでなく全国集会の軽い打合せのような感じになっていました。じつは、カルロス、プロジェクトからお金もらってやってるのに、まったくやる気がなくベットに寝転がって日本のドラマを観たりフェイスブックをやってばかしいるというのが問題になっていました。ペレスに来たときにこちらのメンバーからかなり批判されたようですが、そのせいかちょっと目が覚めた感じでした(金魚も人に譲ったようです)。

今日はマイノルは会社回りでサンホセに行っていますし、やっとですが少しずつ動き出しました。
















もう一つ新しい情報としては、モルフォにも「オーロラ商会」が出来ました。資金集めの一環としてアイスクリームを売ることになりました。ちょっとめんどくさいのはこっちではそのまま開けっ放しにしておいたらパクられてたいへんなことになるので、いちいち鍵を持ってるカテリンに言わないといけないことですね。休みの日に事務所来てちょっとアイスと思っても鍵がかかってて食べられないんです。

最近の単発要員の一人ハイロくん。介助者が増えると活気がでます。




2013年10月26日土曜日

ニカラグア出張編


おはようございます。ペレスセレドンは雨はまだまだよく降るのですが、晴れるとからっとして何か次の季節が少しずつ近づいている感じがします。

さて、月曜日にここを発って、火曜日から金曜日までニカラグアに行っていました。火曜日の昼頃到着して金曜日の早朝には出発しなくてはいけなかったので、正味2日半の滞在でした。正直ニカラグアはこれまでの研修生たちがみんなばらばらでそれほど進展していないという印象だったのであまり期待して行ったわけではなかったのですが、嬉しい誤算がいくつもありなかなか有意義な訪問になりました。



誤算はまず空港から始まりました。オロンテスとは最近結婚したという連絡もあってフェイスブックなんかでもやり取りはあるんですが、ジョセやディアナとはまったく音信もなかったので、空港にこうしてホセアントニオをはじめ2010年にニカラグアから来たグループが全員迎えに来てくれてるとは思っていなく、意外でしたがめちゃくちゃ嬉しかったですね。

ぼくの中では、ホセアントニオは自分が選んで日本に送った研修生にことごとく裏切られる人徳のないリーダーという固定観念が出来ていたので、実際マナグアに到着して新しく迎えてくれている現実を少しずつ色々話しを聞きながら理解するのにかなり苦労しました。















空港からオロンテスの運転する車で事務所まで。この車はホセアントニオの友人でレンタカー会社を運営する人の所有。オロンテスは大学で法律を勉強した後縫製会社に就職したそうですが解雇に遭って、その後ホセアントニオの口利きでこのレンタカー会社で運転手をしているそうです。車が空いているときは運転手のオロンテスごと事務所の活動に使わしてもらっているとのことです。

きらっと光るMacは日本で買ったもの

ホセアントニオはもともとニカラグアが米国の傀儡政権に支配されていたときにそれを転覆させるために立ち上がったゲリラ、サンディニスタの闘士でした。79年に革命は成功しサンディニスタ政権が出来た後紆余曲折があったのですが現在はまたそのときの指導者ダニエル・オルテガが大統領をやっています。

活動中に交通事故で障害者になった後、2001年にADIFIMという身体障害者団体を立ち上げ、ニカラグアで一番の勢力にまで育て上げました。しかし2010年メインストリーム協会で自立生活運動の研修を受け、帰国後この団体で実践を始めたところ団体内で孤立、結局クーデターのような形で団体を追い出されることになってしまいました。ぼくがホセアントニオにこうした経緯を確認しても彼自身は否定をしていましたが、翌日訪問したADIFIMではすんなりとそう認めていました。「ADIFIMは障害者みんなが幸せになるのを求めていた、一部の人だけに重点を置く彼のやり方は認められなかった」。

一時ホセアントニオももちろん落ち込んだらしいのですが、すぐに新しい団体「ANDIS・ニカラグア重度身体障害者協会」を立ち上げ自立生活運動に特化した活動を始めました法人格も昨年春に取得することができ2010年に研修に一緒に行ったジョセもこのときから理事に加わって団体の事務局長として働いています。

ニカラグアは貧しい国で活動するには交通費も工面できないくらいなので、介助者に給料を払うこともできません。でも日本の青い芝時代のようにボランティアを募って少しでも障害者が活動できるように活動を始めています。

ニカラグアの自立生活
















右が理事の一人リリーさん
脳性麻痺のクリスチャン、左が介助カリーナちゃん














事務所はホセアントニオの自宅兼用で、ホセアントニオは近いから朝7時から夕方6時まで働いてるよって笑って言ってました。現在の活動はこうした理事の障害者の家に介助者を送ることが主で、コーディネート自体はホセアントニオ自身がやっているみたいでした。リリーさんもクリスチャンもお母さんと二人暮らしで共に高齢で介助できないのでそこに介助者を送っています。なかなかすべての時間をカバーは出来ていないとも言っていました。

嬉しかったのはこうしたボランティアの介助者に混じって、ディアナや去年来たゴルドンが一緒に働いていたことで、理念を理解している人が集まってちゃんとグループになっていることでした。こうしたのを目に出来るとはまったく期待していなかったのでほんとに幸せに感じたし嬉しかったですね。夜はサルバドール・アジェンデ港という新しく整備された港に連れて行ってくれました。夕日がきれいで火山も見えると言ってましたが着いたらすっかり夜でした(笑

介助者の若い衆、左からゴルドン、クリスチャン、コスタリカにも来たエンリケくん


2日目は、ホセアントニオがもともと創設した団体ADIFIMに言ってきました。ここには2009年に研修に来たグスタボがそのまま勤めています。彼はここ2年ほどずっと体調が悪く一時は生死をさまよったほどだそうでしたが、導尿のカテーテルにしたり何度か手術をしてようやく落ち着いてきたという話しでした。日本に来たときよりかなり痩せて、顔色もまだそれほど元気そうには見えないので、もう少しかかるのかなと思いました。


ADIFIMではホセアントニオに代わって代表になっているペドロさんとグスタボ、秘書的に色々手伝ってくれているクリスティーナさんが迎えてくれました。ADIFIMには、2009年にサンドラがセミナーをやったときに廉田さん、佐藤さん、JICAの西村さんとで訪問したことがありました。このときに知り合ったのが通訳の五十嵐さんでした。

こちらの障害者団体は政府や自治体が企画したプロジェクトを委託してそのマネージメント料をもらうことで資金を作っている場合が多く、現在ホセアントニオのところではHIVの障害者をサポートするプロジェクトを委託していてその収入が3000ドルほどあるそうです。ADIFIMは、昔はたくさんのプロジェクトをやっていたのが今はかなり減っているそうで、それが問題のひとつになっています。ホセアントニオはやはり政治力がある人だとこちらの状況を見ていると感じました。ADIFIMの何人かにはホセアントニオに戻ってきてほしいと言う人もいるらしく、こうしてプロジェクトが減って困窮してきているのをみるとあながち誇張した話しでもなく本当なんだろうなと思えます。

ただ、グスタボ自身には体調を崩してやれていなかったけれど、自立生活のことはやはりやりたいらしく、コスタリカの全国集会にも来たいと言ってました。ホセアントニオとグスタボは親友のような間柄だったので、現在は行き違いがあってまったく連絡もなくなってしまったのですが、それでもお互いがお互いのことをもの凄く気にしているのが、よく分かりました。元に戻ってほしいけれどもう無理なところまで来てしまったのかなと感じることもあり何かひりひりするものに触れたような訪問でした。


さて、3日目最終日は今日本で研修中のプチート、エリエセルが働いているADRNという団体に行ってきました。もともと一人で行く予定だったのですが、ホセアントニオにもいっしょに行ってもらって、プチートが帰ってきたら何か共同でできればいいと下地づくりをしてきました。写真は事務局長のヘノロさんで、他に代表の女性の人がいるらしいのですが、この日は不在でした。ヘノロさんは内戦時代に銃を使った後遺症で耳に障害があるということでしたが軽いものなのでほぼ健常者です。

ホセアントニオに現在やっている活動を説明してもらった後、ぼくの方からメインストリーム協会でやってきたこれまでのニカラグアへの支援を説明した後、プチートが帰ったらぜひいっしょに活動してほしいとお願いしてきました。

ADRNは、規模が1000人ほどの団体で身体障害だけでなく視覚や聴覚の障害者もいるということでした。ニカラグアには多い戦争の後遺症によって負った障害をフォローすることから始まった団体だそうです。ホセアントニオとはもう10年以上の知り合いと言うことです。ホセアントニオはこうしたときにいちいち自分がADIFIMを出た経緯から説明しないといけないので、まだまだ色々たいへんなんだろうなと感じました。















ADRNの後、ホセアントニオと二軒の利用者宅を訪問。クリスチャンの家ではこうやって介助をやってると見せてもらいました。そうしたら2009年のセミナーのときにも、クリスチャンがこうやってやってると見せてくれたのを思い出しました。このときぼくは初めて海外で介助者研修というのをやったんでした。リリーさんのところではお昼をごちそうになってニカラグアの予定は終了しました。



残った時間、ホセアントニオ、介助のクリスチャン、奥さんのアリシアさん、車で2時間ばかし走ったところにあるグラナダという町に連れて行ってくれました。すいません運転してくれた理事のおばさんの名前ちゃんと聞くの忘れちゃいました。グラナダはスペイン人の入植が始まって最も早く建設された町です。落ち着いてゆっくり回りたい町ですね。教会をいくつか回り、最後にニカラグア湖に行ってみんなでボートに乗って、マナグアに着いたら夜でした。

ニカラグアにいる間ホセアントニオとずっといて、思ったのはこの人こんなによく笑う人だったかな〜?ということでした。書いたように一時はずいぶんと落ち込んだみたいですが、事あるごとに「自分の中でADIFIMをやっていた時代は終わったんだ。もう新しい時代が始まっている」と言っていました。そして彼の表情を見ていると何か乗り越えたすがすがしさがあるように見えるし、実際やりたいことがやれているような楽しさが感じられていました。

常々ぼくらはこの仕事は人の人生を変えてしまう仕事だって言われていましたが、ほんとに変えちゃったな〜。でも何だか幸せそうに見えるしよかったかな。


2013年10月21日月曜日

プロジェクトのお仕事


おはようございます。

写真は日曜日のモルフォ事務所前の風景ですが、今日のモルフォもこんな感じ、がらんとして誰もいません。
マイノルとフランクはサンホセに行っていて、全国集会の場所に決まったモールの担当者と細かい打合せをしています。ウェンディとルイスエルナンはコンセホで、投票にもっと誰でもアクセスできるようにという話しをしに行っています。こちらでは来年2月2日大統領選挙があります。体制が変われば色々大きく変わる可能性もあるのでプロジェクトとしても注視しなくてはなりません。
なので、事務所にはぼくと、スサーナとカテリンだけです。

さて、今日は少しプロジェクトのお仕事について説明したいと思います。ここで行われているプロジェクトはモルフォと呼んでいますが、正式には「コスタリカ自立生活推進プロジェクト」といってJICAの草の根技術協力資金で運営されています。

こちらのメンバーも時々ごっちゃになるのですが、このプロジェクトは全体で5年、後3年半の残りです。しかしプロジェクトが終わっても自立生活センターとしてのモルフォはこれが終わってもちゃんと運営していかないといかなくそれがプロジェクトの目的でもあります。

ぼくの仕事はこの5年間のプロジェクトがちゃんと運営できているか管理するのが役割で、ぼくが日本にいていない間はフランクがその代わりをするというのが、二人のだいたい役割分担になっています。プロジェクトは日本側が資金を提供しているので、日本の年度制に従って4月に始まって3月に締めるというやり方でやっています。

ぼくの仕事はまずプロジェクトの進捗状況(読めますか?しんちょくじょうきょうですよ!)を日本のカウンターパートであるメインストリーム協会とJICAの方に報告することです。3ヶ月毎の四半期と、9月末の半期、それと年度末の3月に一年の纏めを報告します。

会計は基本は年間通して事務所にいるフランクの仕事なのですが、もう一つ日本側とのコミュニケーションがうまくいっていなかったので、この第2クールからぼくが一度翻訳して日本に伝えるようにするようにしました。
















今日はサンホセにいっていませんが、いつもフランクが仕事をしている机です。横にあるのはKaloieプロジェクトから譲り受けた金庫です。会計の仕事は日本から送金されたお金がちゃんと活動にそった使い方をされているかを精査して、その領収書を集めサインがきっちりされてるかを確かめて整理していき帳簿に付けて日本に送るまでです。



日本と同じで介助派遣をすればその分の手数料がセンターに落ちる仕組みになっていて、それを管理するのがジゼルの仕事になっています。センターはフェリアとかも行うので独自に収入もあり、法人格も取れ、銀行の口座もできたのでこれから本格的にセンター独自の資金を集めることになっています。ちなみに写真は前に撮ったものです。足の炎症で入院中でさらに入院が決まったそうです。













センターの会計はこうやってときどきアルフォンソさんも手伝ってくれています。
さて、今回会計のことも見ることになってぼくが持ち込んだのが、このScan Snap s1300 です。このスキャナーはプリンターのように差し込めば自動的に読み取ってくれそれがそのままEvernote に並んでいく仕組みになっています。















もともと日本にオリジナルを送る前に、PDFを作る作業は必要だったので、その作業をしながら、フランクがやった作業を確認して分かりにくかったら一度フランクに確認して分かりやすい形にして日本に伝えるという風にするようにしました。Evernoteには誰がどういう目的で使って金額がいくらというメモを付けておきます。そうすれば後で確認するときかなり楽になりました。

しかしオリジナルにサイン漏れがあれば、それは足を使ってもらい歩かないとだめなんですね。活動がサンホセにまで拡がっているのでこの作業はかなりたいへんです。そのため木曜日フランクは一日サンホセまで出てサインをもらい歩くというのを先週やっていました。



そのぼくは地元のメンバーや介助者のサイン集め。漏れてるところに付箋を付けるのは日本の請求での印鑑漏れと一緒、事務所でコーディネーターの仕事をしていたときを思い出します。青はここで集める分。赤が日本に送ってエリエセルとグスタボにもらう分です。

こうやって終えた作業を日本に送って終了なんですが、いつも使っているDHLの集荷時間に間に合わず、再び金曜日フランクはサンホセまで行って投函してきました。どうもお疲れさまでした。なんとかこれで第2四半期締めることができました。

2013年10月17日木曜日

悲喜こもごも今週のモルフォ

ボニータ、カテリン

こんにちは。プロジェクトは今ちょうど今年度の半分が終わったところです。ぼくの仕事はこの半年の報告書を書くことと、第2四半期の終わりにもあたるので、精算作業をきっちり終わらせることです。昨日までになんとか領収書の整理を終わって、今日はサイン漏れがあるところをこちらのメンバーや介助者の人たちに埋めてもらっています。フランクはこの作業のためにサンホセまで行ってサンホセのメンバーや介助者にサインをもらい歩いているところです。

さて、先日お伝えしたとおり週末はFeria de Kaloieというお祭りがありました。3日間で最終日はチャリティマウンテンバイクレースがありました。4000コロンの参加費で、これはお祭りの経費や余ればモルフォに寄付されることになっていて、最終的に収支は黒字になったようでした。
















レースの後は、ごらんのように抽選大会くじに当たった人には景品がプレゼントされました。


こうしていつものように元気に障害者の人権について訴えていたジゼルですが、この後体調不良に。今日から入院してしましました。















月曜日。3日間のお祭りの後で大半の人はお休みだったのですが、ちょうどこの日は月に一度の地元の障害者が集まる日に当たっていたため、ルイスとスサーナは出勤。最近モルフォが受けるようになったバスの運転手の研修を地元のグループと共にやっていこうという話し合いをやっていました。



嬉しいことがありました。ちょうど1年前にこんな事件があったペレスセレドンの市役所にエレベーターが付きました。まだ一般には公開されていないのですが、一足先に行って見せてもらってきました。日本と同じでしつこく言ってる間はなかなか付かないのですが、忘れた頃にこうして設置されました。このエレベーターを付けるために廊下自体を拡張しているので、車椅子での移動も楽になりました。

中はこんな感じでまだビニールが張ったまま。

この日もう一ついいことがありました。先月からやっているバス会社の研修ですが、11回の研修で60名以上修了書を渡しました。その報酬が会社の担当者から小切手で払われました。1600ドルくらいになるそうでこれまでほとんど収入らしいものがなかったモルフォにしては大きな前進です!

ちょうど今回日本を発つ前に、メインストリームのメンバーと阪急バスの運転手の研修に立ち会って来たばかりだったのですが、そのときからコスタリカは多くの部分で日本より障害者の施策は遅れているのに、なぜこの分野だけ同じ速度かあるいはこちらの方が進んでいるのだろうって考えていました。

こちらのメンバーと話しているとみな口々にそれは7600号法があるからと言います。こちらの障害者に機会の均等を保障した法律ですが、また改めてその大切さを認識した機会になりました。

朝も、夜も、休みの日もがんばりました。


2013年10月11日金曜日

Feria de Kaloie


モルフォのメンバーは先週末もバスの運転手の研修があってつぶれていたのですが、今週もFeria de Kaloieというお祭りのため休日出勤です。バスの研修は会社から急に電話があって依頼されることもあって、ルイスエルナンも判断に困っていましたがみんなで話し合ってやることにしました。収入も入るし今が頑張り時だとわかってるんですね。

さて、Feria de Kaloieというのはモルフォの前にここペレスセレドンを含めた南部のブルンカという地方で行われていたJICAのプロジェクトKaloie時代から行われていたものです。

もともとKaloie時代には必ずJICAのボランティア海外青年協力隊がこのペレスセレドンに派遣されていたので、そうしたボランティアの人たちがコスタリカ全国のボランティアを集めて日本の文化を紹介するイベントを毎年開催していました。昨年度まではボランティアの方がいたのでそういう形でやることができていたのですが、今年はいなくなってしまっていて、地元のNGOが集まって民芸品を売ったり、出し物をやったりというお祭りに変わりました。

場所も、昨年までのモールからサンイシドロの中心にある公園にテントを借りてやる方式に変わっています。



モルフォにはバス研修のようなイレギュラーな予定がどんどん入ってくるので、さあこれで全国集会のことにかかれると思ったら何か目先の予定に行ってしまって後回しになることの連続でした。正直、Feria de Kaloieより全国集会を優先してやってほしいと思っていました。

しかしここ一週間みんなが一生懸命準備をしているのを見ていたり、本番で地元の人たちが集まってイベントをやっているのを目にすると、これはこれでちゃんと大切にやっていかないといけないんだなーと少し考えをあらためました。














スサーナのお兄さんが絵を何枚か出品していて、その中の一枚。妹の肖像です。お兄さんのファンは、事務所で絵画教室も開いてくれていました。とカテリン。

サンホセからアレックスも。ちょっとわけあり訪問。

2013年10月10日木曜日

全国集会のことなど.....


朝の出勤時の空

こんにちは。

ちょっと取り込んでいたのですが、少し落ち着いたかな。ここのところの動きをまとめてお伝えしておきますね。


月曜日。久しぶりにコンセホのマルコスとパウラさんが来所。IMASからの補助金が下りず、原因がコンセホとの連携がうまくできていないことにあるらしいということで、急遽話し合い。ペレスセレドンのコンセホの権限はかなり少なくなっており、こちらの支援がなくなったわけではないけれど、交渉はサンホセに行ってやらないといけない状況になっています。















火曜日。サンホセとスカイプをつないで、延ばし延ばしになっていた全国集会の場所と日程を決める会議。先週マイノルとフランクがサンホセに行って集中的に探したときに偶然見つかった場所でした。モールなのですが、あまり店舗は入っておらず、貸事務所ビルのようになっている所です。近くに大学もあり、バスの路線が近くを通ってアクセスもいいので、ここに決定しました。トイレなどがたくさんありバリアフリーなのも決め手になりました。Outlet Mall San José Costa Rica 2月20日(木)〜22日(土)です。

ここがメインスペースになります


トイレチェック中






同じく火曜日。この日は朝から会議つづき、先ほどの全国集会会議を入れると4つの会議があったのですが、その後ルイスはつづいてバスの運転手さんの研修。
モルフォでは9月からTransporte Blanco社というバス会社から依頼を受けて運転手を対象にした研修をやっています。9月3日から始まったのですがすでに9月末の集計で60人以上の運転手を研修しました。

コスタリカには7600号法という法律があることはこのブログでも何回かお伝えしていると思いますが、これは障害者の機会の均等を保障したものです。バスにはリフトが着いてなかったりするとそれだけで運行許可が下りないような厳しい法律で、このバス会社は老人や障害者への対応が悪いという苦情が多く当局に上がってきていたため、運行許可取り消しの寸前まで来ていたそうです。

モルフォは昨年からバスの運転手への研修を始めて、ちゃんとした修了書も渡しています。これをもらえると7600号法への対応がちゃんとできているという証明になります。これまで、そうした資格を出せる団体がなかったためモルフォはうまくそこに入り込んで、今回の研修からその対価として報酬も出るようになりました。

この会社の研修はペレスセレドンだけでなく、南部のシウダ・ネリーや北のグァナカステでも同じ会社の支部への研修を依頼されており、おそらく資格を与える運転手は100人を超えそうです。これはモルフォの得意分野になるので全国集会の準備も忙しくなりますが、がんばってやっていきたいと思っています。

なんかかわいい?
コワイw















帰る頃にはこんな感じ。こんな天気があと一月以上つづきます。

2013年10月4日金曜日

いってらっしゃい!


こんにちは。いのうえです。

30分ほど前にこちらのバスターミナルまでエリエセルとグスタボを見送って帰ってきたところです。こうして、日本にいて迎えるのではなく送る側になって2年目ですが、まだ何かへんな気分がします。


今回のエリエセルの滞在中、お母さんのようにして一貫して彼の面倒を見ていたのはジゼルでした。今朝もこのように荷物を纏めるのを手伝っています。こうしたのを見ていると、なんかちゃんとピアカンなんかできなくていいんじゃないかなーって思ってきます。

事務所で最後にみんなで別れを言っているときに、ジゼルがちょっとうるっとすることを言いました。「この時をどんだけ待ったことか、エリエセルは最初から日本に研修に送りたいリストにずっと上がってたんだもん」。たしかに、ぼくらがKaloieプロジェクトに関わり始めた4年前ほどから南のヒメネスというところにエリエセルという頸損の青年がいるというのは聞いていました。実際はその後どこかのセミナーで一度ほど顔を合わせただけでしたが、様々な条件が整ってやっと今日の日が来たのでした。















おかしかったのはもう出発するというぎりぎりのときになって、小姑みたいなのがいっぱい出てきて「あんたバッグに名前付けた?ちゃんと付けないとわかんなくなるじゃない!」みたいのあちこち言われて、ただでさえ二人とも初飛行機でドキドキしてるところにさらに慌てさせるようなことになっていました。

名前付けましたTavo のTです。ちなみにスーツケースのぼくのだけど。